2014年10月13日

スコットランド女王の処刑と暗号強度(その2)


 前回の続きを書きます。

 なぜ、今、暗号の話を書くのか。それは、暗号が古くて新しいテーマだからです。
 なぜ、人は暗号を使うのか。それは、他人に知られたくない情報があるからです。

 2013年6月、国家安全保障局(NSA)の局員エドワード・スノーデン氏が、NSAによる個人情報収集の手口を告発しました。この告発内容は、NSAが全世界のあらゆる電子メール等通信・情報を無断で収集しているというもので、極めてショッキングな内容でした。まるで映画のようなインターネットを監視するプログラム「PRISM(プリズム)」の存在が明らかになりました。収集される情報には、当然、Google、MSNのメールの内容、登録情報なども含みます。

 日本では、この手の事件は直ぐに矮小化され、問題の本質が見えないように歪められます。事実確認やNSAが収集した情報の破棄などを求めていくのが本筋だと思うのですが、そのような動きは見られません。

 インターネット上で個人情報を守っているのが"暗号"です。インターネット通信を行う各プロバイダーは独自のアルゴリズムに従い暗号化を図っているようですが、NSAはプロバイダーのメインコンピュータに物理的に直接接続し、バイパスを使って情報を収集していたようです。先日、3回に渡ってテレビで放映していました。何とも恐ろしいことです。 

 個人情報を守るための暗号とは何なのか、暗号強度とは何なのか、そんなことが頭をよぎります。

 前々回の記事「スコットランド女王の処刑と暗号強度(その1)」で、スコットランド女王メアリーがイングランド女王エリザベス1世暗殺計画を企て、その企てに暗号が使われたことを書きました。

 また、前回の記事では、シーザー暗号について書きました。これは、古代ローマのジュリアス・シーザーが使っていた暗号で、その暗号の作成、及び、暗号から平文への復号を簡単に自動処理できるエクセルファイルをアップしました。

 さて、今回は、いよいよ、スコットランド女王メアリーが使った暗号について書きたいと思います。

MaryQueen005.jpg


 スコットランド女王メアリーについては、たくさんのサイトで紹介しているので、詳しくは他のサイトをご覧下さい。このサイトでは簡単に年譜でご紹介するに留めます。メアリーに関する資料を読めば読むほど、ヨーロッパの歴史が「黒歴史」なのだと思ってしまいます。「サーの称号」というのは、結局、現在においてまで敬うべき何の意味があるのか、よく分かりません。

1542年11月24日 イングランドとスコットランドの国境近くのソルウェー・モスの戦いで、ヘンリー8世のイングランド軍がスコットランド軍を打ち破る。
1542年12月8日 0歳 リンリスゴー城でスコットランド国王ジェームズ5世の第3子としてメアリー誕生。長男、次男は既に死去。
1542年12月14日 6日 ジェームズ5世が31歳で急死する。メアリーが王位を継承する。
1543年7月 0.7年 摂政であるジェームズ・ハミルトン、アラン伯爵は、イングランド王ヘンリー8世の要請を受け、彼の息子エドワード6世とメアリとの結婚と平和のための条件を交渉。
1543年9月9日 0.9年 メアリーはスターリング城にてスコットランド女王として戴冠、即位する。
1547年    4歳  ピンキー・クルーフの戦いの闘いで、スコットランド軍は総崩れとなり、大勢の兵士が虐殺される。
1548年8月7日 5歳8ヶ月 メアリーの身の安全を図るため、フランス王太子フランソワとの結婚に備え、フランスに向け出国。
1558年4月24日 15歳   フランス王太子フランソワと結婚し、翌年、フランス国王アンリ2世の支所に伴い、フランソワが国王フランソワ2世、メアリーがフランス王妃となる。
1560年12月5日 17歳  フランソワ2世が16歳で病死。
1561年8月20日 18歳  スコットランドに帰国
1565年7月29日 22歳  従兄弟のダーンリー卿ヘンリー・スチュアートと再婚
1567年2月10日 24歳  夫ダーンリー卿殺害される。
    5月15日 24歳  ボスウェル伯と再婚
            結婚に反対する反ボスウェル派の貴族たちが蜂起。メアリーは6月15日に反乱軍に投降しロッホリーヴン城に軟禁され、7月26日に廃位された。
1568年5月   25歳  ロッホリーヴン城を脱走したメアリーは6千人の兵を集めて軍を起こすが、マリ伯の軍に敗れ、エリザベス1世を頼ってイングランドに逃れた。しかし、エリザベス1世は、ダンリー卿殺害に関与した疑いでメアリーを捕らえ、幽閉する。その後、18年間の幽閉生活が続くことになります。

イギリス国王年譜

出典:Wikipedia, 「テューダー朝」

18年後。
1586年、メアリー、43歳の時、カトリック司祭となるべく勉強していたギルバート・ギフォードがメアリーの支持者たちからの手紙を彼女に届けることに成功します。ビール樽の栓の中に手紙を隠す方法が採られました。以降、ギルバートはメアリーと支持者たちとの手紙を運ぶスパイとなります。しかし、ギルバートは二重スパイで、メアリーを処刑してしまいたいイングランド側にはこの手紙のやりとりは筒抜けでした。手紙は途中で開封され、写しがとられた後、再び封かんし、届けられました。しかし、手紙は暗号で書かれており、イングランド側はその解読を進めます。

 イングランド貴族たちがメアリーを処刑したかった理由は、宗教と王位継承権にあります。イングランドはプロテスタントで、スコットランドはカトリックでした。そして、メアリーはイングランドの王位継承権を所持しており、イングランドのカトリック教徒にとっては、異教徒(プロテスタント)で庶子のエリザベス1世よりもメアリーの方が正統な王位継承者だと考えていました。さらに、エリザベス1世はメアリーよりも9歳年上でした。エリザベスが先に亡くなり、敬虔なカトリック教徒であるメアリーがその後を継いだ場合、エリザベスを取り巻くプロテスタントの貴族たちは全員処刑されてしまいます。

 このような事情から、プロテスタントの貴族たちは、メアリーを早く処刑したくてたまらないのですが、エリザベスは認めません。それは、当時、他国の国王を処刑することは、国際法で認められていなかったことや、フランスやスペインなどのカトリック国がそのような行為を許さない環境だったからです。メアリーを処刑に持ち込むためには、確固たる反逆罪の証拠が必要でした。

 当時のイングランドは、1585年以降、スペインと実質的な戦争状態になっていました。スペインの無敵艦隊は、1588年、アルマダの海戦でイングランドに大敗を喫し、その後の暴風雨により、損害が拡大しました。しかし、直ぐに艦隊は復活し、イングランドに対するスペインの優位性は、まだ、しばらくの間、保たれました。

 日本人にはよく理解できないのがヨーロッパの王朝でしょう。
 ヨーロッパの歴史を観ていると、王朝がたびたび交代しています。しかし、それらの王朝は、何らかの形で血縁関係にあるところが、日本人が理解しにくい部分かと思います。「そんなの日本でも、戦国時代は一般的だったじゃないか。自分の姉妹や娘を敵に嫁がせ、血縁関係を結ぶことで、家の安泰を図るというのは古今を問わず当たり前のこと」という声が聞こえてきそうです。

 しかし、日本と外国とでは、このような日本人の感覚とはまったく異なっている点を知る必要があります。
 外交上の儀式の作法を『国際儀礼(プロトコル)』といいます。大統領就任式、冠婚葬祭などの席順はこのプロトコルに従います。最上位は日本の天皇です。これは歴史の重みなのでしょう。

 うちの家系は10代続いている名家だとか、20代続いていると、家系の継続性を自慢する話を聞きます。しかし、11代前は? 21代前は?、という質問には答えがありません。

 ヨーロッパの王族の弱いところは、まさにこの点にあります。歴史上のある時期に有力だった権力者が王として君臨し、周辺の国と血縁関係を結び、王国の存続を図る。しかし、その王としての自出を問われるとかなり苦しくなる。日本の場合は、天皇のお墨付きがあればよかった。しかし、欧米や中国などの場合は、そのようなものがない。先王は自分が殺した。先王を殺してこの国の王になった。しかし、自分が王であることの妥当性を示せれば、民衆は納得する。

 一方、日本では、時の権力者の力が強ければ強いほど、天皇のお墨付きを欲しがりました。「人の上に立つ」ための普遍的論理を天皇家の継続性に求めた結果なのでしょう。その時代の時の権力者は、その権力の恒久性を求め、「なぜ、自分が国を支配する権利があるのか」というこの命題に悩み、もっともらしい口実を考えたのでしょう。

 フランスでは、フランス革命により、このようなしがらみを断ち切り、君主を抱かない共和制になります。そのためなのでしょうか。近世の歴史を見ても、フランス軍はとても弱い。守るべきものが漠然としているからなのでしょうか。
 
 フランスのヒロイン的存在である「ジャンヌ・ダルク」は、フランス王シャルル7世の即位に貢献しました。ヨーロッパの周辺国には、王国がいくつかあり、フランス国民は、本音では、(象徴的な)王制の復活を望んでいるのかも。しかし、ブルボン家の精神障害家系の王族支配には懲り懲りしているのかも知れません。

 さて、メアリーは、エリザベスにより捕らえられ、18年もの間、イギリス中部ノーサンプトンシャー州(イングランド領内)のフォザリンゲイ城(Fotheringhay Castle)幽閉されます。

 スコットランド王女だけでなくフランス王女でもあったメアリーにはたくさんの支持者がいました。しかし、彼ら支持者からの手紙はメアリーに届くことはありませんでした。この手紙を苦難を排し届けたのがギルバート・ギフォードというメアリーと同じカトリック教徒の神学生でした。ところが、ギルバートは二重スパイで、プロテスタントのエリザベス1世に通じていました。

 またまた脱線です。
 欧米の映画を観ると、必ず、"おかしなやつ"が登場します。冒険に出かける時に、こんな"おかしなやつ"が必ずメンバーに入っている。管理人にとっては、とても違和感があるのですが、欧米人にとっては不可欠なキャラクターのようです。そこには、宗教観が色濃く反映されているようです。日本映画と欧米映画の違いがここにあります。日本映画では、「アホで精神的に不安定な脇役」は最初から拒絶されます。「アホでもまじめで協調性」がある脇役や、「異能」の持ち主の脇役が好まれます。これに対して、欧米映画では、「アホな上に精神がおかしい」役が好まれます。それにより、主人公を引き立てることができます。欧米映画の宇宙の冒険旅行で必ず登場する「おかしなやつ」に違和感を覚える日本人が多いのではないかと思います。「そんなやつ、最初から選ぶなよ」というのが日本人の感情ではないでしょうか。ところが、欧米人にとっては、「そんなおかしなやつ」が不可欠の存在なのです。

 流行を先取りする最近の少年漫画には、欧米型の悪者は登場しません。読者が、そんなキャラクターを拒否しているためだと思います。「そんなアホ、いるわけないだろ」って。ところが、欧米映画では、「そんなアホ」が必要不可欠な存在です。「完璧な人間ばかりではつまらない」、「そんな人間がいるわけない」という考え方のようです。このため、「神」のような人間は一人になります。グループではありません。

 話を戻すと、ギルバートは、欧米映画に出てくる"おかしなやつ"でした。結局、彼のためにメアリーは首を切られてしまいます。

 メアリーが斬首された罪状は「バビルトン事件」への関与でした。アントニー・バビルトンは、当時、弱冠24歳で、ハンサムで魅力的な遊び人として、ロンドンでは名が知られていました。彼は、カトリックの家族や知人がイングランド政府からすさまじい迫害を受けていることに深い恨みを抱いていました。

 1586年3月、バビルトンと6人の親しい友人たちは酒場に集まり、エリザベス女王を暗殺し、外国政府の力を借りて、反乱を起こす計画を立てました。そして、その計画の遂行のためには、メアリーの承認を得なければならないと考えました。

 そこに、二重スパイのギルバートが現れます。ギルバートはバビルトンの手紙をメアリーに渡す役目を演じます。しかし、その手紙は、開封され、写しをとられた上で再び密封され、メアリーに届けられました。

 最終的にもメアリーが出したこの陰謀を承認するという手紙が、彼女の首を胴体から切り離すことになります。

 しかし、バビルトンは、当時としてはとても強力な暗号を使っていました。メアリーの裁判において、その暗号が解読されるか否かが、彼女の生死を分けることになりました。すなわち、「暗号強度」です。

MARY_CIPHE001.png



 かなり追記していますが、書きたいことが多く、なかなか終わりません。長くなったので、この続きは、次回に。


posted by ネコ師 at 06:47 | Comment(0) | 古代の謎・歴史ヒストリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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