2016年06月01日

欧米・中東・中南米の人たちが最も恐れることと


 欧米・中東など外国の人たちが恐れる最も怖いこととは、一体なんでしょう?
 以前アップしたような「のろいのビデオ」ではありません(笑)。

 欧米人にとって、宗教を信じない人は軽蔑の対象です。
 ところが、日本人の多くは、特定の宗教を信じている訳ではないように思います。このため、外国に行くと肩身の狭い思いをします。
 
 世界三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教は、それぞれ、20億、13億人、3億6千万人の信者がいます。さらに、ヒンドゥー教は9億人の信者を擁しています。

 世界の人口は70億人くらいのようです。つまり、世界の65%の人たちは、これら四つの宗教のいずれかを信じていることになります。

 彼らがどのように宗教を選択しているのかは知りませんが、よくよく考えるとおかしなことに気づきます。

 「キリスト教を信じていた人が死んで天国に行ったら、そこにいる神はキリストではなくモハメッドだった」
 または、その逆の可能性もあります。宗教が異なればおのずと世界観も違ったものになります。善悪の基準はもとより、天国、地獄の構造も違う。

 自分の信じた宗教が全否定される。これほど恐ろしいことはありません。特に、聖職者にとっては。

 新興宗教の中には、この点を衝いて勧誘しているところもあるので注意が必要ですが、確かに不思議です。世界の数十億人が外れクジを引いていることになります。あるいは、すべてが外れクジの可能性も否定できません。
 
 宗教と信仰の違いの議論があります。日本人は、決して無信教徒ではありません。科学が発達した現代社会においても、さまざまな神に敬意を払うという感覚が身についています。それが迷信だといわれても一朝一夕には変わりません。そして、これらの神々を真っ向から否定する一神教に対しては疑いの目で見ています。

 宗教には開祖と言われる人たちがいて、その人が信仰の対象になっているような気がします。とても不思議なのは、イエス・キリストは何教の信者だったのでしょうか。仏陀は何教を信じていたのでしょうか。

 これらの宗教で本来信仰すべき対象はイエスでも仏陀でもなく、彼らが信じていたもののような気がします。三位一体なはど後世の人たちが考えた後付けの理論に過ぎず、本質を避けているように感じます。

 管理人が初めて海外勤務をしたとき、宗教に対する知識も関心もなかったことから、外国人から日本人の宗教観を問われたとき、宗教の話がまったくできないことに気づきました。
 当時は、相当困ったのですが、今なら次のように答えます。

 日本人は、特定の宗教は信じていないけれども、日本古来の多くの神々を信仰していると。

 大学生の頃、マレーシアから来た留学生と一緒に学食で昼食を食べていました。そのとき、留学生が、ご飯に箸を突き立てました。

 彼を囲む学友たちの反応は。あなたが思った通りです。
 日常生活の中で忌み嫌われるやってはいけない行為の一つが、ご飯に箸を突き立てるということでしょう。

 この留学生は、周りにいたすべての学生から叱咤されましたが、本人はその理由がわからないようです。「日本はめんどくさいね」とか言っていました。

 それもそのはず、やってはいけない理由が管理人にもわからない。ご飯に箸を立てるなど墓前でしか見たことのない光景です。目の前でそれをやられると、とても不快になります。下品という感覚ではなく、「忌む」という言葉が適しているように感じます。

 この時に感じたのは、「ご飯に箸を突き立てる」ことを忌み嫌う理由そのものではなく、全国から来ている学友たちが全員同じ感覚を持っていることに対する驚きでした。
 

おまえの師は誰か


 「おまえの師はだれか」
 「自分の人生の指針を示してくれる師もおらず、おまえはどんな人生を歩もうとしているのか」

 これは、かなり以前に研修講師で来ていただいたお坊さんの講話の一説です。お名前は失念しましたが、当時の管理人にとって衝撃的な講話でした。

 西洋の外国人は、この「師」を「神」に求めるようです。ところが、日本人は違うのではないでしょうか。

 「御利益がえられるところならどこでもOK」 

 これが、日本人の感覚ではないでしょうか。なにしろ、日本の神々はたくさんいるので、選択肢が途方もなく広い。万物には神が宿るという感覚が、意識するにしろしないにしろ日本人に染みついています。

 とはいいながら、「日本の八百万の神々」と「全てのものに神が宿るアニミズム」という考えとは、実は違うのではないかと思います。

 「日本の八百万の神々」には、「呪い、呪詛、たたり」というイメージがつきまといます。そして、それらを封じ込めのための工夫が見て取れます。そこには「人間対人間」という構図が見えてきます。

 一方、アニミズムである地域信仰では、自然に対する畏怖の念が感じられます。ここでは「自然対人間」という構図が見えます。

 精神世界は目に見えないので、その違いに気づかないのが普通でしょう。

 外国人から見て、日本という国は、やはり不思議の国なのだと思います。

 エスカレーターで左側に寄って立ち、右側を空ける。いつの間にかルール化されています。これは外国人から見ると不思議以外のなにものでもありません。だれが、どのように、このようなエスカレーターのルールを決めていったのか。

 日本人の中でも「空気を読めない人」には、その理由は永遠に分からないでしょう。

 帰国子女と話していると違和感を覚える人が結構いると思います。逆に、外国人なのに話していても全く違和感を感じない人もいます。「空気を読めない人」というのは、日本人との会話量が圧倒的に不足している、と言えるのかも知れません。ネット上の発言もしかりです。

 世界の宗教の優劣は誰も知りません。血で血を洗うような宗教戦争を繰り返しながら、本質は無視されたままのような気がします。

 いっそのこと『世界宗教御利益対抗戦』というイベントを開いたらどうでしょか。予選を勝ち抜いた世界屈指の神官、聖職者たちが、自分の信じる神のご加護を競い合うというイベントです。ただし、その主催者や参加者たちには「神罰」が下るかも知れませんが(笑)。


posted by ネコ師 at 21:54| Comment(0) | メモ | 更新情報をチェックする
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