2015年06月15日

海賊の地図から財宝の埋蔵場所を特定する:海賊の財宝伝説に迫る2

エンブレム2015.png

 前回、コスタリカのココ島に隠された膨大な財宝の伝説について書きました。
 今回は、その埋蔵場所の特定をしてみたいと思います。海賊の隠した財宝のナゾの解明編です。

 ココ島ではこれまで、たくさんのトレジャーハンターが財宝の発掘に挑みましたが、未だ見つかっていないようです。現在は、世界遺産に指定されているので、発掘などできません(たぶん、島に常駐している沿岸警備隊に賄賂を渡してこっそり発掘している人は少なからずいると思います。ネット上で、お金を払えば発掘許可が降りて発掘できるようなことを書いているサイトがありましたが、真偽は不明です。複数のサイトでそのような記述があるので、本当のことのようです。現在は分かりません。)

 財宝の埋蔵場所を特定することなんて本当にできるのでしょうか?

 埋蔵金を捜すには、「土を掘るより資料を掘れ」と言う言葉が示すとおり、資料の収集・分析により、ほぼ場所は特定できる、そんな気がします。特に、ココ島の場合、それが容易だと思います。

 日本から見て地球の裏側のコスタリカ。しかも、コスタリカの港から船で片道35〜40時間もかかる場所にある島です。管理人がいた頃は、プンタレーナス港から漁船で往復1週間の旅程でした。普通の日本人は財宝の発掘どころか、現地に行くことさえできません。

 でも、図上でなら財宝の埋蔵場所を検討することは簡単です。
 それに、・・・・、ここだけの話ですが、・・・・、「宝の地図」が残されているのです! 楽勝です!


海賊が残した宝の地図
 埋蔵金探しには「宝の地図」が必須です。これがないとロールプレーイングゲームが前に進みません(笑)。

 スチーブンソンの「宝島」は、海賊が残した地図を中心に話が展開していきます。「海賊」、「財宝」、「埋蔵」、「宝の地図」。まさにキャッチコピー満載です。さらに、財宝のありかを暗示した歌が読者の気持ちを引きつけます。 

“Fifteen men on the dead man’s chest – Yo-ho-ho, and a bottle of rum!”
 死んだやつの衣装箱に15人の男、 ヨーホーホー、ラム酒を1本!

 ココ島の財宝はきっとある。その確信と期待のもとに、資料から財宝のありかを特定する旅に出発しましょう!

金の延べ棒



残された宝の地図が示す場所とは
 先ずはココ島の形状を見てみましょう。
 ココ島は、島を仮に正方形にすると、7Km四方の小さな島です。しかし、高低差があり、最高地点は海抜634mのイグレシアス山(Cerro Iglesias)がそびえています。小さい島ですが、この高低差があることで埋蔵金探しを難しくしています。島の周囲は断崖絶壁に囲まれています。
(注:イグレシアス山の標高は、Wikipediaでも634mと575.5mの二つの数値が見られます。)
 島の周囲には、さらに小さな島・岩礁が見えます。また、島内には多くの川が流れています。

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 ココ島には、Wafer Bay、Chatham Bay、Iglesias Bayなどの湾がいくつかありますが、船の碇泊や島への上陸にはWafer BayとChathan Bayが使われます。そして、海賊の財宝を隠したとされるのが、Chatham Bayの近く、と伝承は伝えています。

See_Map1.jpg
   Source: コスタリカ国国土交通省国土地理院 1963年作製の海図

 さて、伝えられている『宝の地図』とはいったいどのようなものでしょうか。まずはそれを見ることにしましょう。

 下の画像がメアリー・ディア号(Mary Dear)の航海士が残したとされる「リマの財宝」を埋めた場所を記したオリジナルの地図です。チャタム湾の正確な場所をピンポイントで示しています。地図の右上に緯度経度が書かれています。北緯5°35′、西経86°55′です。

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   Foto: メアリー・ディア号の航海士が残したオリジナルの宝の地図

 Google Earthでこの座標を確認すると、海の上です。これはGoogle Earthで使われている座標系と当時使われていた座標系が異なるためだと考えられます。島が特定されているので、今回は、この座標は意味がありませ。そもそも、座標で10m程度の範囲に絞り込むためには、度分秒では不十分で、"秒"よりさらに小さな値まで必要になります。当時はそんな精密な測定はできなかったので、書かれている座標は、あくまでも島の位置を示す程度のざっくりとした座標です。

 座標の下にも何やら別の座標のようなものと2本の直線が書かれています。

 『N20°W』と『N63°Σ』です。 

 これは何でしょうか。たぶん、磁北からのズレを度数法で表示したものです。2本の直線が交わるところに財宝が埋められています。2本の直線のなす角度は、20°+63°=83°、ほぼ直角です。

 宝の地図の場所を海図に落としたものが下の画像です。直線が北側の島を横切る位置と、東側の断崖、そして、2本の直線の交角で位置を特定することができます。

Mapa_Tesoro06.jpg


 やはり、Chatham Bayの近くに埋蔵したようです。この岸辺は砂浜になっており、上陸に適した場所です。

 海賊が隠した財宝を見つけるのは簡単そうに思えます。
 その理由として、小さな島であること、周囲は断崖絶壁で囲まれていること、島内はかなりの高低差があること、そして、隠された財宝が膨大な重量物であること、などを挙げることができます。

 @ 小さな島で、かつ、調べる場所は島内に限定されます。
 A 島の周囲は断崖絶壁になっており、上陸できる砂浜は限られています。
 B 小さな島なのに標高634mの山があるなど起伏に富んだ地形で、重く、膨大な量の財宝の運搬は困難です。
 C 財宝は、金銀の延べ棒だけでも数百本もあります。こんな重量物を起伏の激しい島内奥深くに運搬するのは無理です。さらに、財宝を隠すために穴まで掘らなければなりません。下に示す膨大な量の財宝を埋めるためには、最低でも6畳の部屋くらいの容積が必要です。

 公式記録にある財宝の量は以下のものです。
  
【埋蔵金】
金の延べ棒 700本
ドブロン金貨で満たされた樽 20個
スペインの8レアル銀貨 100トン以上

"Tesoro: 700 lingotes de oro, 20 barriles llenos de doblones de oro,y más de 100 toneladas de reales de plata españoles."


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Foto: Ⓒ Nekoshi, 黄金の聖母像


 ココ島でのダイビングツアーの出発港になっているプンタレーナスは、恐ろしく暑いところです。管理人はプンタレーナスへ何度か行ったことがあるので、そこの猛暑を思い出します。ココ島も相当暑いと思います。こんな暑い場所で、人は労働しません。まじめに働くような人だったなら、海賊になっていない。

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 財宝を隠した場所は、地図が示すとおり、Chathamビーチからそれほど離れていないと思います。

 ところが、財宝は未だ見つかっていません! 

 なぜ発見されないのか。楽勝だと思っていた海賊の財宝の謎解きが最後でつまずきました。

 管理人が不思議に思うのは、このことです。簡単なパズルのように思えるのに、なぜか解けない。そんな感じです。仮説のどこかに過ちがあるのでしょうか。それとも、重大な要件を見落としているのでしょうか。


なぜ財宝が見つからないのか
 宝の地図までそろっているのに財宝が見つからない。これが小説なら"禁じ手"です。宝の地図の存在でさんざん読者の関心を引いておきながら、地図は偽物でした、ではすまない。

 過去のトレジャーハンターたちは、当然、この宝の地図を用いて財宝を捜しました。この地図を残したのは、メアリー・ディア号の航海士ジェームズ・アレキサンダーI世(James Alexander I)です。

 ここまで書いて、財宝が見つからない理由が分からない。どうも、情報が不足しているようです。
 そこで、別の視角から考えて見ましょう。財宝を埋めた海賊の気持ちになって考えて見ます。

1.なぜ財宝を埋めたのでしょうか?

 誰かに奪われるのを恐れたからでしょう。誰かとは? それは、他の海賊か、奪われた財宝の行方を必死に追っているスペイン艦隊か、さもなくば、イギリス艦隊かも知れません。海賊の周りは全て敵ばかりです。

2.いつまで埋めたままにしておくつもりだったのでしょうか?

 それは、ほとぼりが冷めるまで、と考えられるのですが、果たしてそうでしょうか。ほとぼりはいつ冷めるのでしょうか?

 海賊にとって、イギリスの私掠船も他の海賊以上に怖い存在です。1856年のパリ宣言でヨーロッパ列強は私掠船の利用を放棄しますが、1820年ころは、まだそこら中にいたと思います。ほとぼりが冷めるような状況ではなかったでしょう。海賊の悪名が高まれば高まるほど、奪った財宝は狙われることになります。

 戦いでいつ死ぬか分からないのに、10年も20年も先を見据えたような財宝の隠し方をするでしょうか。直ぐに掘り出して、いつでも使えるように隠した。どうも、そんな気がします。徳川埋蔵金とは違います。

3.財宝を掘り出すときに必要な人数は?
 
 財宝を埋めるときは、海賊船の乗組員が作業をします。埋蔵場所の秘密がバレるのを恐れて、乗組員を皆殺しにしてしまった。・・・・、でも、それはあり得ない。当時の帆船の操船にはたくさんの人間が必要でした。船員を殺してしまっては、操船ができません。また、他の船に襲われる恐れもあります。船長は、船員を簡単には殺せない。

 財宝を掘り出すときはどうでしょうか。埋めたときと同じくらいの人員が必要になりそうです。埋めるのも掘り出すのも短期間に行う必要があります。いつ追っ手が迫るか分かりません。

4.財宝はどこにある?
 
 それが分かれば、ブログを書いていないで、こっそり掘りに行っています(笑)。
 冗談です。たぶん、キーとなる情報が欠落しているのだと思います。全てのピースが揃っているのに絵にならないジグソーパズルのようですが、実は、重要なピースが欠けているような気がします。

 前述したように、重い財宝を遠くまで運ぶのは無理があると思います。ましてや、標高の高い山の上に隠すことは現実的ではないようです。財宝を入れている木製の衣装箱も相当の重量がありそうです。補強材としてたくさんの鉄の金具が使われています。衣装箱本体だけでも30〜50Kgの重量があったでしょう。

 また、穴を掘って隠すというのも海賊たちにとって大きな負担です。掘っても直ぐに固い玄武岩の岩が出てきます。やはり、映画などに出てくるように、海辺の洞窟に隠したと考えるのが妥当でしょう。これだと直ぐに船に積み込むことができます。

 海賊が財宝を陸揚げする理由は、重量物を積んだままだと船の速度が出ないためです。海賊船がスペイン商船を襲うことができたのは、相手の船が荷物を満載していて、速度が出なかったためです。

 そのことをよく知っている海賊たちは、財宝を一度に運搬して売り払うということはしなかったと思います。海賊の宝を狙うハイエナのような私掠船があたりにうようよいます。襲う側から、狩られる立場になっています。このため、財宝は、小分けして売り払っていたのではないでしょうか。

 このような推理から導き出される結論は、ココ島での財宝の隠し場所は、『洞窟』だということです。
 ココ島は、玄武岩質の火山島なので、鍾乳洞ができるような石灰岩はありません。洞窟ができるとすると、イグレシア山の溶岩流出穴か、または、波によって浸食された海岸の洞窟(『海蝕洞』)ということになります。

 当時の海面水位は現在よりも1m程度低かったようです。(世界平均海面水位平年差の推移、IPCC

 海岸洞窟を利用すると、重量物の運搬を楽に行えます。洞窟内にも海水が入り込んでいるので、水の浮力を利用して運搬することができます。これは海賊たちが財宝の埋蔵場所を決定するときの大きな条件になりそうです。
 
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Foto: Ⓒ Nekoshi, 24個の衣装箱に詰められたリマの財宝の隠し場所

5.海賊たちの略奪目標額は?

 不思議に思うのは、海賊たちが、「リマの財宝」など、とても価値のある膨大な量の財宝を略奪したのに、その後も海賊活動を続けていることです。「リマの財宝」だけでも、全ての乗組員が一生、遊んで暮らせるほどの金銭的価値があったと思うのですが、彼らは略奪を止めることはなく、結局は、縛り首になり人生を終えています。

 どうも違和感を感じます。上記の分析で、根本的な部分が間違っているように思います。
 それは何なんだろう? 明らかに情報が不足しています。それは、前回の記事を途中までにしてこの記事を書き始めたのが理由かも。 


海賊の歌のナゾ
 気になっていることの一つに、記事の冒頭でも紹介した小説『宝島』の歌があります。

“Fifteen men on the dead man’s chest – Yo-ho-ho, and a bottle of rum!”
 死んだやつの衣装箱に15人の男、 ヨーホーホー、ラム酒を1本!

 なぜ、15人なのでしょう? なぜ、"on the dead man's chest"で"on" が使われているのでしょうか。

 『宝島』は単なる空想冒険小説だといえばそれまでなのですが、どうもそうではないような気がします。

 『ロビンソン・クルーソー』が実在のモデルの手記に基づいて書かれているように、『宝島』も何らかの海賊にまつわる伝承に基づいて書かれていると思います。そして、この歌は、作者が作ったものではなく、その伝承が伝える歌そのものだったのではないか。

 『ロビンソン・クルーソー』のモデルのことを知れば知るほど、『宝島』に書かれている内容が、一部の脚色はあるものの、かなりの部分が「ある情報源」に基づいている。そんな気がします。

 財宝を埋めるのに15人では少なすぎる。当時の帆船を操作するために最低限必要な船員の人数は、船の規模にもよりますが、概ね50〜90人程度だったと考えられます。15人は少なすぎます。嵐に遭って生き残った15人という解釈はもっとおかしい。嵐に遭ったら、最初に重い積荷を捨てます。15人しか生き残らなかったのなら、船は財宝とともに海の藻屑と化しています。

 この歌の原文全体は、“Fifteen men on the dead man's chest Yo-ho-ho, and a bottle of rum! Drink and the devil had done for the rest Yo-ho-ho, and a bottle of rum!"

 これの日本語訳は出版社によって大きく異なっています。日本語訳だけ読むと「そんなこと、原文には書いていないよ」ということになるので、原文だけを見ましょう。

 翻訳者の方が相当苦労されているのが分かります。原文に書いていない文言をたくさん付け加え、無理やり意味の通じるように訳文をねつ造しいるものもあります。これは『歌詞』なので、原文に書かれていないことを追加するとそれは翻訳ではなく『作文』になります。

 この歌はなぜ意味が分からないのか。この歌の意味が分からない理由は、作者のスチーブンソンも理解していなかったからではないでしょうか。「情報源」に書かれていることをそのまま書いただけ。そんな気がします。

(和訳に関心のある方は、Yahoo知恵袋『ロバート・ルイス・スチーブンソン著の小説「宝島」に出てくる海賊の歌』で紹介されていたのでそちらをご覧下さい。)


海賊の宝物の隠し場所はやはり洞窟
 海賊の宝物は「埋められた」と多くの本で書かれているので、最初は穴を掘って埋めたと思っていたのですが、どうもそうではないような気がしてきました。

 船荷一杯のお宝を盗んだのだから、それだけのものを隠すためには、かなりの容積のある隠し場所が必要となります。人力で土を掘って隠すということは考えられません。やはり、ココ島の海賊の財宝は、洞窟に隠されたと考える方が論理的です。

 そこで、具体的なイメージを持つために財宝の隠匿シーンを作ってみました。
 財宝の隠し場所の入り口には、2体の純金の天使像が立っています。ついでに階段も黄金でできています。なんて豪華なのでしょう。見ているだけでリッチな気分になります。向かい合う2体の彫像は、映画「ロード・オブ・ザ・リング」や「ネバーエンディング・ストーリー」でも出てきます。神秘的なシーンの小道具としては最高のものの一つでしょう。

Treasure Cave 2


 財宝を埋める海賊の人数は15人。上の画像では分かり難いのですが、拡大すると15人の海賊が宝物を隠しているのが分かります(1人隠れていて見え難いのですが)。元画像は、幅6000pxで作ったので、拡大に耐えます(笑)。

  “Fifteen men on the dead man's chest Yo-ho-ho, and a bottle of rum! Drink and the devil had done for the rest Yo-ho-ho, and a bottle of rum!"

Treasure cave


 この歌はスチーブンソンの『宝島』に出てきます。
 実はこの歌は、ココ島の財宝と関係があるらしい。

 海賊船には百人近く乗っているはずなのに、なぜ、15人なのか不思議でした。
 これは、海賊たちが当時、基地としていたココ島を出て、新たな獲物を求め航海に出たとき、島に残っていたのは、1人の外科医と治療が必要な14人のけが人でした。合計15人です。この時、出港した海賊船は、二度とココ島に戻ることはありませんでした。海賊たちは襲撃に失敗し、殺されたり、捕らえられたりしました。

 スチーブンソンの『宝島』は、作者の空想だけで書かれたものではなく、多くの史実、あるいは伝承に基づいて書かれているようです。


宝島の地図の信憑性
 『リマの財宝』を盗んだ海賊トンプソン船長は、それをココ島に隠しました。その隠し場所を示す地図が現在まで伝わっています。『宝島』や『宝島の地図』は、決して架空の話ではありません。信憑性がとても高い『伝承』です。

 この地図を描いたのは、海賊船「メアリー・ディア号」の乗組員だったジェームズ・アレクサンダー・フォーブス(James Alexander Forbes I)です。彼は、メアリ−・ディア号の航海士で、『リマの財宝』を掠奪するようウイリアム・トンプソン船長を扇動した人物として知られています。

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 彼が死んだとき、長男のジェームズ(James Alexander 2nd)に、海図(チャート)といくつかの文書が残されました。すべて彼自身の手書きによるものです。

 海図は、ココ島のチャタム湾を描いた正確な地図でした。文書には、ペルーのリマから運ばれた「メアリー・ディア号」の財宝、すなわち、『リマの財宝』がココ島にどのように埋められたのか、そして、それを見つけるための完全な指示が詳細に記述されていました。

 地図と文書は、1939年に、ジミー・フォーブス(Jimmy Forbes (the 4th))に受け継がれました。彼は、人生の大部分と多額の資金を、チャタム湾の浜辺に埋められたとされるトンプソン船長と彼の曾祖父が隠した財宝の捜索に費やしました。しかし、彼は、財宝どころか、1枚の金貨さえ見つけることができませんでした。見つけたのは、わずかに、19世紀頃のものと思われる金の鎖だけでした。

宝島の地図

チャタム湾(Chatham Bay)の財宝を隠し場所を示す宝の地図(オリジナル)

 
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 ジミー・フォーブスは、財宝の存在を固く信じていました。そして、財宝を見つけることなく、典型的なトレジャーハンターの末路を辿ります。

 宝のありかを示す地図や文書まで残されているのです。航海士ジェームズ・アレクサンダーが子孫に、偽の地図を残す理由はありません。ジミーが信じたように、それらの遺物はすべて本物だったと考えるのが妥当だと思えます。

 それでは、なぜ見つからなかったのか。
 その理由を知るには、別の物語を紐解く必要があります。

 YouTubeにちょっと素敵なバイオリン演奏がアップされていたので、リンクを貼ってみました。「パイレーツ・オブ・カリビアン〜呪われた海賊たち(He's a Pirate) 」をきれいな女性がバイオリンで弾いています。弾いているのはTaylor Davis という米国のバイオリニストです。

   YouTube: Taylor Davis


posted by ネコ師 at 21:46 | Comment(0) | 海賊が隠したココ島の財宝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月13日

海賊の財宝伝説に迫る1:ココ島に埋められた海賊の財宝伝説

エンブレム2015.png

Flag of Pirate 120x100 ⒸNekoshi

 海賊が残した財宝の伝説は、多くの人々の関心を呼ぶだけではなく、トレジャーハンターと呼ばれる人々に計り知れない夢とリスクを与え続けています。

 日本人にとって、これまで地球の裏側で活躍した海賊の財宝など、それほど関心がなかったと思いますが、海賊をテーマにした漫画「ワンピース - One Piece」や、映画「カリブの海賊」などが爆発的にヒットしたことで、海賊に関心を持つ方も増えたのではないかと思います。

 今回のテーマの舞台は、カリブ海ではなく、太平洋側です。

 今回の記事は、本記事も含め、以下の6本の記事から構成されています。

1.海賊の財宝伝説に迫る(1):ココ島に埋められた海賊の財宝伝説
2.海賊の財宝伝説に迫る(2):海賊の地図から財宝の埋蔵場所を特定する
3.海賊の財宝伝説に迫る(3):『リマの財宝』の伝承に迫る
4.海賊の財宝伝説に迫る(4):エドワード・デイビス船長の財宝
5.海賊の財宝伝説に迫る(5):ベネット・グラハム船長とデボンシャー号の宝
6.海賊の財宝伝説に迫る(6):財宝の現在位置を割り出す


『宝島』のモデルとなったココ島とは
 中米コスタリカの南西550Kmの太平洋上にココ島(Isla del Coco)という孤島があります。面積は46.6平方キロメートルですから、概ね7Km四方の島ということになります。火山島で、島の最高地点は海抜634m。断崖絶壁が取り囲み、年間降水量は7,000mmにも及び、熱帯雨林に覆われ、豊かな動植物が数多く残っています。

 ココ島は、スティーブンソンの小説『宝島』の舞台として知られ、実際に海賊たちが飲み水や食料を求めて上陸したと言われています。熱帯雨林に覆われた島には固有の動植物が数多く生息し、周辺海域には回遊魚の大群が集まり、ダイビングスポットとしても有名です。1997年には世界自然遺産に登録され、2002年には登録範囲が拡張されています。

Isla del coco location map
   source: Google Map

 ココ島はまた、映画『ジュラシック・パーク』のロケ地に選ばれるほど、自然豊かな島です。2015年8月に、新作『ジェラシック・ワールド』が公開されます。再び、ココ島が世界の注目を集めそうです。

 ちなみに、映画のロケの大部分はハワイで行われました。映画『ジェラシック・パーク』は、同名の小説『Jurassic Park』を原作としています。この小説は、1990年、マイケル・クライトン(Michael Crichton)によって書かれたもので、コスタリカ沖の孤島『ヌブラール島(Isla Nublar) 注1)』が舞台となっています。現実にはそのような島はなく、その位置に存在する唯一の島としてココ島(Isla del Coco)が小説の舞台になった島とされています。

 有名な海洋学者ジャック・クストーは 、ココ島を数回訪問し、1994年には「世界で最も美しい島」と呼んでいます。

 ココ島は、単に「宝島」のモデルになった島というだけではなく、実際に、海賊の財宝が埋蔵されているという信憑性の高い有力な伝承があります。

 無人の熱帯雨林のジャングルに覆われた山々、深い峡谷、孤独な霧の谷、島内にある多くの激流と滝、そして、船乗りにかけられた壊血病の呪いから救う新鮮な水、ココナッツ、新鮮なフルーツ。陸地から遠く離れた立地。現在価値で10億ドルとも見積もられる海賊の隠した財宝。ココ島は、スペイン植民地時代から冒険家を魅了し続けてきました。

 これまでに300以上のトレジャーハンターチームが隠された財宝を求め発掘にこの島を訪れています。日本ではほとんど知られていませんが、ココ島の海賊の財宝はとても有名であることが分かると思います。これまでに少額のコインが見つかっていますが、財宝を掘り当てたトレジャーハンターは、未だ一人もいません。

Isla del Coco


 調べてみると、ネット上(日本語)には、ココ島に埋められたとされる海賊の財宝についての情報が皆無なことが分かりました。書かれていたとしても一般的なことばかりで、中米から遠く離れた日本に住む私たちは理解できない書き方です。

 さて、本サイトのカテゴリー『古代の謎・歴史ヒストリー』では、ネット上のどこにも書かれていない情報を提供することにしています。この記事をどのようにまとめるかはまだ方針が決まっていないのですが、とにかく、"できるだけ正確かつ詳細に"をモットーに書いていきたいと思います。

 管理人は、20年以上前、コスタリカに3年ほど住んでいたことがあるので、中米、カリブ海にはちょっとばかり土地勘があります。当時はココ島への上陸は一切許可されていなかったのですが、今はどうなっているのでしょうか。

 日本から見て地球の裏側の埋蔵金伝説ですが、史実に基づき、できるだけリアルに書いていきたいと思います。

 下の写真は、1840年頃にカリブ海の港で偶然撮影されたとさせる停泊中の海賊船。
 
停泊中の海賊船
  Foto: ⒸNekoshi, Cancún 

 もちろん、ウソです。管理人がカンクーンで撮影した写真を加工したものです。正しくは、「上の写真は、2010年、カリブ海の港(カンクーン)でブログに載せることを意識して管理人が撮影した停泊中の観光海賊船」です。でも、文字だけよりも写真があったほうが楽しめます。冒頭に掲載した「たなびく海賊旗」も今回作りました。この髑髏と大腿骨をモチーフとした旗は、欧米では「ジョリー・ロジャー(Jolly Roger)」という名前で知られています。1720年代に最も使われたようです。


ココ島に伝わる海賊の財宝伝説
 海賊が埋めたとされる財宝は、中南米のスペインの植民地から本国に輸送する途中で海賊が奪ったもので、その積荷の内容はリストとして残されています。

 伝説の海賊の財宝は主に3つあり、ウイリアム・デイビス(William Davis)、「リマの財宝」のウイリアム・トンプソン( William Thompson)および「血まみれの剣」のベニート・ボニート(Benito " Bloody Sword" Bonito)が隠した財宝が有名です。1684年から1821年の間に隠されたと伝説は伝えています。 

 トレジャーハンターたちが群がる海賊が残した財宝とは、具体的にどのようなものかを最初に見ていきましょう。

 ココ島にはたくさんの財宝伝説がありますが、最大のものは、ウイリアム・トンプソン船長によって隠されたとされる財宝で、「リマの財宝」と呼ばれています。その財宝の中で最も価値があるとされるのが「リマ戦利品」と名付けられたもので、ペルーのリマにある教会のドームと丸屋根から剥がされた大きな金箔シートであると言われています。「リマの財宝」の目録は次のようになっています。

・黄金の宗教的彫像 113体
・等身大の聖母マリア像 1体
・宝石・宝飾品の入った衣装箱 200箱
・柄に宝石が埋め込まれた宝刀 273本
・ダイヤモンド 1,000個
・純金の王冠
・聖杯 150個
・金と銀の延べ棒 数百本
・その他


gold_treature05.jpg

  Foto: Ⓒ Nekoshi, Imagen de tesoro

 もし、この財宝が発見されたのなら、単に貴金属の価値以上に歴史的価値が加わり、途方もない金額になるのではないかと思います。埋蔵された宝物の現在価値は、一般には、1.6億ドル、約200億円相当と見積もられます。別の見積もりではその6倍の10億ドルとの説もあります。

 ココ島には、この他にもたくさんの財宝伝説があります。もし、その伝説の全てが真実で、全ての財宝が発見されたとしたら、世界経済はパニックに陥るかも知れません。


海賊に奪われた「リマの財宝」
 最も有名な失われた宝物のうちの1つは、「リマの財宝」でしょう。

 中央アメリカにおける大多数のトレジャーハンターたちにとって、スペインの植民地で獲得し、そして失われたこの『リマの財宝』からストーリーが始まります。

 1811年8月にパラグアイがスペインからの独立を宣言したのを皮切りに、南米にあるスペイン植民地では独立の機運が高まっていきます。スペインのラテンアメリカ支配体制は年代により大きく異なるのですが、この時期、南米のスペイン領全域を支配したのがペルー副王で、首都はリマに置かれていました。しかし、南アメリカの植民地独立の動きは激しさを増し、副王のいるリマも不穏な空気に包まれていました。

 1818年、約5000の兵を率いた現アルゼンチンのホセ・デ・サン・マルティン(José de San Martín)がアンデスを越えてチリに進入し、スペイン軍を破りチリを解放します。サン・マルティンはチリで艦隊を整えて、1820年にはペルーの海岸に上陸し、翌21年にはリマに入城しペルーの独立を宣言しました。

 1820年、ペルー副王ホアキン・デ・ラ・ペスエラ(Joaquín de la Pezuela)は、このような状況の中、リマの富の安全を確保するために、その財宝を当時のスペイン植民地の本拠地があったメキシコに移すことを決めました。つまり、この時の財宝の輸送は平時の輸送ではなく、独立軍が押し寄せ、陥落が迫ったリマからペルー副王領がため込んだ富のほとんどを他所に移動するというとても重要な意味がありました。このような理由から、積荷は絢爛豪華で貴重な宝物にあふれていました。

 ペルー副王はメキシコは安全と考えた、その上での財宝の移送計画だったのですが、歴史的に見ると、その判断は誤っていたことが分かります。いや、判断が遅すぎたということでしょう。メキシコでもスペインからの独立の機運が南米以上に高まっており、1821年2月にメキシコはスペインからの独立を宣言します。つまり、リマの財宝が無事にメキシコに到着したとしても、それがスペイン本国に渡ることはなかったのです。

 話を1820年のリマに戻しましょう。
 ペルー副王はこの運搬任務をメアリー・ディア号(Mary Dear)のウィリアム・トンプソン船長(William Thompson)に依頼します。
 (別の伝説では、『1820年のこと、ペルーからメキシコへ財宝を運搬しているスペイン船が、イギリス人海賊ウイリアム・トンプソンに襲われ、積荷が奪われてしまいます』という話も伝わっています。)

 独立解放軍はリマの直ぐ近くまで迫っています。スペイン人たちは宝石、金、銀、重厚に装飾された燭台、そして、幼子イエスを抱いた等身大の黄金の聖母マリア像2体など当時のリマにあった膨大な量の財宝を船に積み込みました。副王の最も忠実な警備兵が輸送品の警護の任務に就きます。

 メアリー・ディア号は何ら問題なく港を離れ、航海は全て順調かと思われました。しかし、誘惑がトンプソン船長と彼の乗組員を襲います。

 ある晩、彼らは副王直属の警備兵と同行した司祭を殺害し、遺体を船から海に投げ捨てました。そして、船の針路を変え、コスタリカの太平洋沖に位置するココ島を目指します。

 ここから話はとても複雑になります。小説でも書けないような奇怪で複層的で重厚なストーリー展開なので、多くのトレジャーハンターはこの伝説を信じています。

 この状況を把握するため、ここで当時の歴史を整理しておきましょう。リマの財宝が奪われた1920年代は、まさに、スペインによるラテンアメリカ植民地経営が終焉を迎える時期でした。

【ラテンアメリカ独立の年譜】
 1811年8月 パラグアイがスペインから独立を宣言
 1816年7月 ラプラタ連合(アルゼンチンおよびその近傍)がスペインから独立を宣言
 1818年2月 チリがスペインから独立
 1819年12月 ボリバル、コロンビア共和国 (大コロンビア)を宣言
 1820年9月 サン・マルティンがペルーの海岸に上陸
 1821年2月 メキシコがスペインから独立宣言
       6月 ベネズエラがスペインから独立
       6月 ペルーがスペインからほぼ独立
       9月 中米グアテマラのスペイン総督府が独立を宣言
 1822年5月 エクアドルがスペインから独立
       9月 ブラジルがポルトガルから独立を宣言
 1825年8月 ボリビアがスペインから独立
 1828年8月 ウルグアイの独立が承認される。

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ベニート・ボニートの財宝
 実はこの時、別の海賊がココ島周辺海域をうろついていました。

 悪名高い海賊、"血まみれの剣" のベニート・ボニート(Benito "Bloody Sword" Bonito)です。彼はカリブ海を根拠地に活動していた海賊でしたが、英国とスペインの軍艦による執拗な追跡から逃れるために、他の海賊と共にカリブ海を離れ、太平洋側に進出しようとしているところでした。ベニートは、西インド諸島に海賊が埋めた膨大な財宝を眠っていることを知っていました。そして、逮捕されるのを避けるため、彼はラランパゴ号(Ralampago)でホーン岬を周り、中米沖の海域に向かっていました。

 彼らが南アメリカの西海岸を北上していたとき、新世界の財宝を満載したスペインのガレオン船を見つけ、これを拿捕しました。彼らはガレオン船に乗り移り、すべての宝物をラランパゴ号に移し替えました。

 この新たに奪い取った財宝の重みで、船を安全かつ迅速に操ることが難しくなっていました。周囲の海域には私掠船がハイエナのように海賊が略奪した宝物を狙っています。

 私掠船(しりゃくせん、英: privateer)とは、戦争状態にある国の政府から、その敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可、私掠免許を得た個人の船をいう。私掠免許を「海賊免許」と呼称する場合もあるが、厳密には私掠船は海賊ではないとされています。

 ベニートは、近くにあった孤島のココ島に財宝を一旦陸揚げし、それを隠すことにしました。

 ココ島に到着すると、彼らはそこが太平洋海域で新たに仕事をする上で拠点となる最適な場所であることを知りました。ココ島には、彼らの船を隠すことのできる入り江や彼ら自身を守るのに適した場所がありました。また、島には新鮮な水や十分な栄養をとるために必要な野生のブタもいました。

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  Photo: ⒸNekoshi 船首像

 彼らは、積荷の財宝を陸揚げし、新たな獲物を探しに再び出港していきました。
 その時、彼らは、たまたま出くわした漁船から、南米の独立戦争の波がメキシコにまで拡大していることを知りました。 

 ベニートらは、奪った財宝を守るため、スペインの動向を探り、独立戦争の状況を詳しく知るために、ヌエバ・エスパーニャ副王領の港町アカプルコ(現メキシコ)にベニートの最も信頼できる部下を送り込む計画を立てます。アカプルコに潜入したベニートの乗組員たちは酒場でスペインの船乗りたちと酒を飲み、メキシコ政府と富裕層の宝物が2隻の船に積み込まれ、スペインに向けて出港する準備をしているという情報を入手します。

 そこで、ベニート・ボニート船長は、アカプルコの港の外で待ち伏せする計画を立てます。案の定、それから6週間後、彼は二艘の船を発見します。彼はすぐさま最初の船の船腹に近づき、警告なしに大砲を発射し、ほぼ半数の乗組員を殺害しました。ベニートは、部下の一部をスペイン船に乗り移らせ船を制圧するように命じます。それから、彼が振り向くと、アカプルコ港に逃げ込もうと進路を変えている第二の船が目にとまります。風は港に戻るには逆風だったため、第2の船は逃げ切ることができず、直ぐに海賊に捕まってしまいました。ベニートは船の乗組員を皆殺しにします。

 奪った財宝を積み替えたラマンパゴ号は、一路、太平洋における新たな基地ココ島に向けて航海します。

 この時ベニートは、銀30万ポンド、4×3×2インチの金の延べ棒733本、黄金の柄の剣273本、その他大量の貴重な装身具を略奪し、ココ島に埋めたと伝えられています。

海賊の財宝1



トンプソン船長の財宝(『リマの財宝』)
 トンプソン船長にまつわる別の伝承です。
 ペルーの現首都リマの西部に位置するカヤオ(スペイン語: El Callao)の港を出たスペイン船は、トンプソンと彼の乗組員により襲撃され、乗っていたクルー6人が殺害されます。船はココ島に向けて航海し、その後、この島に積荷である財宝が隠されます。

 1821年、ウィリアム・トンプソン船長率いるメアリー・ディア号(Mary Dear)がココ島に到着したとき、ベニートは島をかなり整備していました。ベニートとウイリアムの両船長は、二人が力を合わせることで、より多くの船を略奪することができるだろうと考え、行動を共することになります。

 しかし、彼らの協力関係は、フリゲート艦エスピエグレ号(Espiegle) との戦いになった時、早くも終わりを告げます。

 戦いに破れたとき、ベニートは、拳銃で頭を撃ち抜き自殺します。生き残った乗組員たちはジャマイカに運ばれ、トンプソン船長と彼の一等航海士を除く乗組員全員が海賊行為により処刑されます。2人の生き残りは、ココ島に埋めた財宝のことを話し、自分たちの命と引き替えに、財宝がどこに隠されたのか彼らの看守に教える約束をすることで命を長らえることができました。一説には、トンプソン船長は乗組員と共に処刑されたという話も伝わっています。メアリー・ディア号の生き残りは二人とされていますが、その中にトンプソン船長がいたかどうかは諸説あるようです。

(ベニート・ボニートについても別の伝説があります。彼は、アメリカ大陸の西海岸を襲撃した伝説の海賊です。彼の経歴は、1818年あたりに海賊を始めたようです。一つの伝承では、彼は1821年に「ドラムヘッドの裁判(臨時裁判)」で絞首刑に処せられています。)

 ココ島に戻ると、2人の囚人は脱走し、ジャングルに逃げ込みました。スペイン人は島を封鎖し、数ヶ月の間、二人の海賊を捜しましたが、再び彼らを見つけることはできませんでした。

 さらに数ヶ月後、近くを通りかかった英国の捕鯨船が新鮮な水を求めてこの島に到着しました。トンプソンと一等航海士はこの船に助けられ、コスタリカ港町プンタレナス港に上陸します。この船によって救助された二人は財宝は持っていなかったと言われています。その後、この二人の男は病気になり、間も亡くなります。亡くなる間際になって、トンプソンは彼を助けたジョン・キーティングにココ島の宝物の隠し場所を示す地図を手渡しました。


ジョン・キーティングによる財宝探し
 そこでジョン・キーティングは、何人かの投資家を見つけて、ボーグ船長(Boag)を雇い、彼の船「エッジコーム号」で、ココス島に隠された海賊の財宝を探すことになりました。

 ここら辺から物語は少し雲行きが怪しくなってきます。伝説ではジョンとボーグ船長だけがココ島に上陸して、膨大な財宝を見つけたことだけを伝えています。

 別の伝説では、最初、ジョンとボーグ船長は、何も見つからなかったと言って投資家やエッジコーム号の乗組員を欺そうとしましたが、乗組員は彼らが金を持っているのを見つけ、彼らに財宝を見せるように要求しました。

 その後、ジョンとボーグ船長を先頭に、乗組員らによる発掘隊は島の中に入りさまよいますが、財宝がどこにあるかを知っていると言った二人は、あてもなくさまよう発掘隊を置き去りにして、ジャングルの中に姿を消えてしまいます。

 その後エッジコーム号は、ジョンとボーグ船長を残して島を離れます。置き去りにされた彼らは、別の船がちょうど沖合に停泊するまでの数ヶ月の間、島で暮らしました。

 ジョン・キーティングは、この時点で生存している唯一の人間でした。その後のボーグ船長についての情報はありません。キーティングは、碇泊していた船の船長に自分を連れて島を離れるよう頼みました。

 ジョン・キーティングは、セントジョンズ・ニューファンドランドに戻ると、十分な資金で事業を始めました。彼は死ぬまで贅沢に暮らすのに十分なお金を持っていました。この事実は、失われた財宝の伝説を裏付けるものであるとして、トレジャーハンターのココ島探索に拍車をかけることになります。

船着場
  Foto: Ⓒ Nekoshi, Cancún


アウグスト・ギスラーによる財宝探し
 この財宝について最も幅広く研究し、最も有名で、かつ長期的に活動したトレジャーハンターは、ドイツ人アウグスト・ギスラー(August Gissler)でした。

 ギスラーは、ジョン・キーティングが残した逸話と地図を頼りに、10年の間 (1897 年〜1908年)、非常に多くの海賊の財宝伝説があるココ島に滞在し、埋もれた財宝を追い続けました。

 しかし、ギスラーは6枚の金貨を見つけたものの、現在価値で1.6億ドルとも見積もられる金、銀、宝石を発見することはありませんでした。

 ココ島で彼らの運を試した有名な人物の一覧には、アメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト、レーシングカー・ドライバーのマルコム ・ キャンベル卿(Sir Malcolm Campbell)、アクションスターのエロール・フリン(Errol Flynn)などがいます。ルーズベルトも捜していた財宝だということです。この伝説の信憑性が高いことを伺い知ることができます。

 最近の発掘調査としては、2012年8月には、最新の技術を使ってココ島の探索が行われました。その結果、財宝が見つかったとの報道はないので、未だに海賊の財宝はココ島に眠っているようです。


お宝の重量について
 財宝で気になるのがその重さです。見つけたのはいいけれど、どうやって運び出せば良いんだろうか、心配になります。これを捕らぬ狸の皮算用とも言います。

 さて、隠された財宝のうち、重量物はなんと言っても「金」です。純金の比重は19.3もあります。小さなペットボトルを想像してみて下さい。同じ大きさで、約20倍も重いのです。500ml入りのペットボトルの中身が純金で満たされていると、その重さは10Kgになります。そして、気になるそのお値段は、ずばり、『5千万円』です。

 隠された財宝の金の延べ棒のサイズは、『4×3×2インチ』と伝えられています。センチに直すと、『10.16cm x 7.62cm x 5.08cm』、この1枚のインゴットの重さは7.5Kgです。そして、そのお値段は、1枚『4千万円』です。

 映画の海賊達が運んでいる金の延べ棒はレンガブロックくらいの大きさがあります。

 市販されている赤いレンガブロックは、21cm x 10cm x 6cm くらいの大きさです。重さは2.5kg。
 もし、この大きさの純金のインゴットであるならば、重さは24Kg程度です。

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 今、金地金の価格が上昇しているので、計算すると大変な額になっています。
 
 もし、金の延べ棒を掘り当てたとしたら、欲張らずに、1枚だけ持ち帰りましょう。それでさえ、金を抱えたまま海に落ちれば浮かび上がるのは難しい。


 (この記事は書きかけです。かなり長くなりそうな感じです。)


【参考文献等】

"Cocos Island - Old Pirates' Haven", Christopher Weston Knight, 1990, Costa Rica
"El Enigma de la Isla Oak", John Godwin, 1968

Pirate Tales of Costa Rica
SAIL-WORLD
Treasure of Lima』Wikipedia
Benito Bonito』Wikipedia
Legends and Lore
Cocos Island』Wikipedia

【注釈】
注1)「Isla Nublar」を「イスラ・ヌーブラー」や「イスラ・ヌーブラル」と書いている方がいますが、管理人は違和感を覚えます。"Isla"はスペイン語なので、それに続く"Nublar"は、「ヌブラール」と書くべきです。「イスラ・ヌーブラー」と発音するには、「Núblar」とアクセント記号が必要になります。管理人は、外国語の日本語表記は発音が優先されると理解しているので、もし、日本語の長音記号を挿入するとすればアクセントの位置になる。さらに、もし、英語の発音を採用するのなら、外国語は「Nublar Island」と英語表記になります。どうでもよいような、ちょっとしたこだわりですが。


補足:執筆上のきまり
 今回の『海賊の財宝伝説に迫る』シリーズの記事では、たくさんの人名や地名がでてきます。参考としている文献・資料が英文とスペイン語文なので、表記の仕方をある程度統一する必要が生じました。

 特に困ったのが地名です。18世紀から19世紀にかけてのラテンアメリカはスペイン統治の時代が瓦解し、多くの国が独立していきます。そして、地名も変わってしまいます。さらに、イギリスの海賊・私掠船が活躍した時代で、公開されている資料では英語表記になっているものが多数あります。

 そこで、本記事では、地名は、当時と現在で変更になっている場合には併記、変更がない場合にはスペイン語表記としました。いちいち調べて確認するという作業をしています。

 人名は固有名詞なのですが、英文とスペイン語文で同じ表記になっているとは限らない。これについては、人名が固有名詞であることから、オリジナルに従った表記としました。ただし、人名が地名に使われている場合は、両言語を併記するようにした部分もあります。ただし、厳密にするととても読みにくくなるので、必要最小限の併記です。

 今回のシリーズで、括弧書きの横文字表記が多いことにお気づきの方もいると思います。
 そのようにしている理由は、今回のような内容の記事では、日本語表記だけでは、読者がとても困るからです。

 本サイトの記事を読み、カリブ・西インドの海賊が残した財宝に関心を持たれた読者の方も多いと思います。さらなる情報が欲しい。その時、日本語表記しかしていないと、外国語サイトの情報へのアクセスが著しく制限されてしまいます。

 そのため、今回の一連の記事では、キーワードとなる単語は外国語表記を併記するようにしています。

 実際に現地を見てみたい、あるいは、旅行でたまたま訪れたけど、そんな歴史があるんだぁ、と思っても、日本語表記だけでは、現地でとても苦労します。また、スペイン語圏内では英語表記は役に立ちません。

 管理人の過去の苦い経験に基づき、外国語表記が必須と思われるものに外国語を併記しています。これにより、文章が読みにくくなった部分もありますが、決して闇雲に記載しているわけではなく、上記のような意図で記載していることをご理解下さい。

 今回の記事を書くきっかけとなったのは、自宅の本棚である本を見つけたことでした。それは、かなり以前にコスタリカの書店で購入した一冊の本です。そのうちに読もうと思っていたのですが、ずっと本箱の隅に眠っていました。

『"Cocos Island - Old Pirates' Haven", Christopher Weston Knight, 1990, Costa Rica
"El Enigma de la Isla Oak", John Godwin, 1968』

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 この本は、ページ数70ページの薄い本ですが、Amazonで調べると100ドル以上の結構よい値段が付いています。自宅の本に貼ってある価格シールを見ると1300コロンになっています。当時のドル換算レートを忘れてしまったので、この価格がどれほどなのか分かりません。この本はコスタリカで発刊されたもので、トレジャーハンターには人気があるようです。

 本を読んでみると、ネット上にはない情報がたくさんありました。このため、本シリーズはこの本をベースに、ネット上の英語・西語サイトの記事を参考にしながら書いています。

 前回の「皇女和宮」シリーズを書いたのと同じような理由なのですが、今回は特に、ネット上に公開されている"日本語"のほんのわずかな情報を捏ねくり回して推論する、というのは性に合わないというのが執筆理由です。

 「メディア・リテラシー」という言葉があります。意味は、「情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。(Wikipedia)」

 何らかの「底本」を誰かが引用すると、その引用だけが一人歩きしている。ネット上にはたくさんの情報があるように思いますが、実は「底本」に書かれていないと引用できないので、結局は「底本」の範囲の情報しかない。外国語の文献まで調べて記事を書く人はあまりいないようです。

 今回の海賊についての一連の記事では、日本語の文献や情報として紹介されていない海賊がたくさん出てきます。ココ島の財宝に関わる海賊たちをできるだけたくさん紹介できればと思います。

 本シリーズは、ラテンアメリカで活動した海賊たちについて私たちが関心を持った場合、さらに詳細に調べるときに必要な門戸の場所を提示できるように執筆しました。

 和宮のなぞの解明でも苦労したのですが、今回の海賊の財宝についても一筋縄ではいきません。
 まだ、執筆途中なのですが、とても勉強になりました。

 今回、改めて感じたのは、「歴史はつながっている」ということ。管理人が持っているバラバラの、そしてポイント的な知識が、歴史という次元でつながっているということを痛感しました。

 今回のシリーズは、いつ終わるのでしょうか? 管理人も見当が付きません。海賊の話は奥が深いです。 


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2015年06月07日

ちょっと前振り:リマの秘宝とコスタリカのココス島


 管理人にとって長くも楽しい調査だった皇女和宮の記事も終了し、現在は、同時並行で進めていたコスタリカのココス島に埋められたと言われている『リマの秘宝』についての調査をしているところです。

 管理人は、以前、コスタリカに住んでいたので、この伝説には強い関心があります。
 結局、ココス島には行く機会がなかったのですが、現在価値で300億円相当の財宝がココス島に隠されたという伝説があります。そして、この島は小説『宝島』のモデルになったといわれています。

 さらに、ココス島は、映画『ジェラシックパーク』のモデルになった島で、映画の撮影でも使われました。コスタリカの西方、太平洋に浮かぶ伝説の島です。
 
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 現在のところ、記事の内容は全くまとまっていませんが、お楽しみに。
 一つの記事を書くのにかなり時間がかかるので、前振りの記事をアップしました。 


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