2011年01月08日

世界遺産シルクロード(第4回):ブハラ その3 アルク城


 シルクロードのオアシスの町"ブハラ"編の最終回です。

 ブハラは小さな町でする。前回ご紹介したのカラーン・ミナールから歩いいくと5分くらいのところに、奇妙な赤っぽい城壁が見えてきます。

 何が奇妙なのかというと、直線と曲線を巧みに組み合わせた、丸みを帯びた城壁であることです。このタイプはここでしか見たことがありません。材質は赤砂岩のように見えます。

 城壁の一部は崩壊しかけていますが、全体としてはよく保存されています。

 この城はアルク城といって歴代ブハラ・ハーンの居城だったものです。アルクとは、歩くこと・・・ではなく、城塞という意味で、アルク城というのは何か変ですが。

 アルク城のあたりが古代ブハラの発祥の地といわれ、最初に城塞が造られたのは2000年も前。その後何度も破壊され、そのたびに造り直され、現在の城は18世紀のものです。シルクロードの要衝の地として、過去にたくさんの血なまぐさい戦いが繰り広げられたのではないかと感じました。

 現在、中は土産物屋と博物館になっています。

 城の正面は広場になっていて、入り口に向かって右側上方に、ブハラ汗の玉座があり、正面のレギスタン広場で公開処刑が行われたといわれています。

 なんとも血なまぐさい城のようです。

 ウズベキスタンでは、「金」が採れます。重要な輸出品になっていますが、ブハラの近郊に金鉱があります。…しゃれです。

 露天掘りの金鉱で、あたりには何もない平坦なところを掘っているようです。外部からは見えないように塀で覆われています。

 現在のブハラ周辺は、アムダリヤ川とシルダリヤ川から取水することでアラル海を消滅させたと名高い旧ソ連時代に建設された用水路の水を使って、一面、綿花畑が広がっています。しかし、これができる以前、この地域は水がなく、作物の育たない不毛の地でした。その中でもブハラは、僅かな水がわき出た、まさに、シルクロードのオアシスだったのです。

 シルクロードが栄えた時代は、今とは全く景観が違っていたと思います。水の存在は大きいです。

 ブハラ全体が当時の面影を留めているように感じますが、実際に当時の面影として残っているのは、このような城塞跡だけかも知れません。

カラーン・モスク
Buxoro ブハラ

アルク城
Buxoro ブハラ アルク城

アルク城
Buxoro ブハラ アルク城

アルク城
Buxoro photo 0068

レギスタン広場からカラーン・ミナールを望む
Buxoro photo 0069



<この記事は本館から移動しました。本館の記事は削除しました>



posted by ネコ師 at 15:21 | Comment(0) | 世界遺産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月30日

実は、カーニバルの写真を大量にアップしています

 本館に大量にアップしています。関心のある方は是非、ご訪問ください。本館は、猫と世界遺産のブログです。ボリビアの世界遺産として登録されているスクレの最大の祭り、グアダルーペ祭の写真です。
 下の写真はサムネイルで、クリックしても大きくなりません。あしからず。

Virgen_Canon012.jpgVirgen_Canon014.jpgVirgen_Canon050.jpgVirgen_Canon074.jpg

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Virgen_Canon168.jpgVirgen_Canon193.jpgVirgen_Canon204.jpgVirgen_Canon217.jpgVirgen_Canon233.jpgVirgen_Canon235.jpgVirgen_Canon278.jpgVirgen_Canon325.jpgVirgen_Canon340.jpgVirgen_Canon350.jpgVirgen_Canon359.jpgVirgen_Canon368.jpgVirgen_Canon369.jpgVirgen_Canon395.jpgVirgen_Canon410.jpgVirgen_Canon503.jpgVirgen_Fuji070.jpgVirgen_Fuji071.jpgVirgen_Fuji092.jpgVirgen_Fuji251.jpgVirgen_Fuji327.jpgVirgen_Fuji395.jpgVirgen_S_Fuji389.jpg
posted by ネコ師 at 03:40 | Comment(0) | 世界遺産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月07日

世界遺産 エジプトのスフィンクスの尻尾

今日は、エジプトの話

 エジプトの魅力は、何といってもカイロの近くのギザ台地にある三大ピラミッド、そして大スフィンクスでしょうね。


 さて、スフィンクスの尻尾はどうなっているか、みなさんご存じですか。


 実際にエジプトに行って見たことのない人は、写真でも見たことがないはずです。


 ギザに行ったことがある人でさえ、「あれ? どうだったかな?」って人が多いのではないでしょうか。


 それは、なぜか?  それは、「絵になる構図」ではないから誰も撮らないからです。


 だから、スフィンクスを絵になる構図を意識して写真を撮ると、どうしても正面か、ななめ横からの撮影になり、その結果、いつもお目にかかる写真になります。


 さらに、レンズの関係上、尻尾の部分の撮影は、難しいのです。50mmレンズでは全然入りません。


 スフィンクスは岩盤をくりぬいて建造しているため、岩盤がすぐ後ろに迫る後部の撮影は難しいのです。


 それに、スフィンクスのお尻の写真に関心のある人は少ないのではないかと思います。


 さらにさらに、尻尾がスフィンクスの身体の右側にあるため、スフィンクスの左側の道路に面した、撮影に適した場所から撮影したスフィンクスの写真には、当然、尻尾は写っていないのです。


 これが、スフィンクスのしっぽの写真がない理由だと思います。
 さて、実際、スフィンクスの尻尾はどうなっているのでしょうか。
 下の写真がそれです。

 

スフィンクスのしっぽ

 正面からの写真です。この揃えた手を見ると、ネコ球を見てみたいと思うのは私だけでしょうか。


<スフィンクス正面

 これは、CanonのEOS Kiss Digital で撮影しています。このカメラのすごいところは、標準で18-55mmが付いていることです。通常の広角でさえ28mmですから、18mmはとにかくすごいの一言です。


 海外旅行には必需品だと思いました。カメラでこのシーンを・・・と思っても、広角でなければ入らないって経験、みなさんお持ちだと思います。
 でも、広角の28mmでも実際は入らないような被写体がたくさんあります。後ろに下がって撮れるような場所がない場合、しかたなく、切り張り写真用にパノラマになるように撮影した経験のある人も多いと思います。


 さて、カメラの自慢もこの辺にして、「ネコ」のテーマに入ります。
 家ネコの起源は、古代エジプトと言われており、ネコを家畜化する一方で、神として崇拝していました。
 その理由は、ネコの瞳にあるようで、「ねこの目のようにくるくる変わる」と言われるように、明るさや感情などによって、ネコの瞳は大きく変化します。


 古代エジプトの人は、これを太陽がネコの瞳を通して、人間界を見るためだと考えました。そして、その信仰の結果、バステトという女神を生み出しました。
 有名な「死者の書」には、太陽神ラーの化身である聖猫マトゥのことがかかれています。
 今度、新しくネコを飼うならマトゥにしようかな。


 古代エジプトでは、このように猫は神聖化されていたため、猫を殺傷すれば処罰の対象となったそうです。まるで、徳川の犬将軍の時代のようですね。


 猫が死ぬと、家人は悲しみを表すため、眉を剃り落とし、猫の亡骸をミイラにして、手厚く葬ったそうです。そういえば、カイロの博物館でも、猫のミイラを見ました。


 スフィンクスは、ライオンです、・・・と言われています。
 本当にそうでしょうか。猫が神格化されているのに、なぜ、いまさらライオンなのか、ちょっと理解に苦しみます。


 そこで、仮説を立てました。「スフィンクスは、実は猫である」、と。 その証拠が尻尾です。
 ごらんのように、「これは、ライオンの尻尾」ですか。どうみても、ライオンではなく、どちらかといえば、猫とか犬の尻尾に見えませんか? ライオンのように全然先っぽがフサフサしていませんね。
 まあ、これは、近年に修復されたせいかもしれませんが。しかし、エジプト考古学学会は、修復にあたり、検証しているはずですし・・・。


 真偽はさておき、スフィンクスを見ると猫好きの私は、親近感を感じるのは確かです。
 ついでですが、お気に入りの写真です。
 エジプトのお巡りさんは、暑い中、大変な仕事だと思いました。


らくだに乗った警官

 博物館で撮影したネコのミイラの写真が見つからないので、見つかったらUPします。HDDがクラッシュしたため、すべてBack Upからなので、分散していて探すのが大変です。でも、Back Upがあるだけましですが。



(この記事は、本館から移動して、書き直しています。本館の記事は削除しています。)
posted by ネコ師 at 11:14 | Comment(0) | 世界遺産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月22日

マチュピチュの位置がずれているよGoogle Map

 先日、マチュピチュの記事を載せたとき、Google Mapで位置の確認ができなかったので、おかしいなぁと思っていたら、やはり表示がずれていました。

 こんなこともあるんですね。座標系の誤差でしょうか。でも、最寄り駅のあるアグアス・カリエンテス(Aguas Calientes)の位置は合っている。不思議です。


 先日の記事はこちら
世界遺産 ペルーのマチュピチュ

 下が、Google Mapへのリンクです。たくさんマークされているところがアグアス・カリエンテスの村。さて、マチュピチュは?

 マウスオーバーで、マチュピチュと表示されますが、マークされた位置ではありません。


大きな地図で見る

本当の位置は、画面左側の赤くマークしたところです。

下の写真をご覧ください。Google Earthの画像です。
クリックすると拡大されます。

googlemap01

 最初に気づいたのは、つづらおりの道路が見あたらなかったからです。草木で隠れているのかと思ったのですが、うっそうとした森林地帯ではないので、そんなはずがないと思い直し、周辺を探したのですが見あたらず。

 実際は、こんなに離れていました たらーっ(汗)

 どうしてこんなことになったのか、分かりませんが、最初にポイントした人のミスなのかも。それにしても、世界遺産の位置が誤表示されているのはいけませんね。間違った情報ですね。旅行者に誤った情報を提供することになりますね。


googlemap02

 上2枚の写真は、上が北です。
 下の写真は、左上が北です。コンパスを表示させたつもりだったのですが、消えていました。


googlemap03

 ペルーの中でも、いや世界の世界遺産の中でも、もう一度行きたい所です。
posted by ネコ師 at 19:22 | Comment(0) | 世界遺産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月13日

世界遺産マチュ・ピチュの発見と都市建設の謎


 数ある世界遺産のの中でも、これだけは欠かせないというものがあります。その一つがペルーのインカ遺跡『マチュ・ピチュ』です。海外の世界遺産を訪問したいと考えている人にとっては、一度は絶対に行きたい、という遺跡だと思います。

 麓からはその存在を覗い知ることができない山頂に築かれたこの都市遺跡は、失われたインカの空中都市とも呼ばれています。

 その神秘性は、世界遺産の中でも群を抜いています。今回は、遺跡の発見の経緯と遺跡の紹介だけでなく、クスコのことも少し書きたいと思います。

【追記】この記事は、本館から移動し、大幅に書き直しています。

 マチュ・ピチュは、インカの古都クスコと同時に1983年にユネスコの世界遺産に登録されています。

 マチュ・ピチュ(Machu Picchu)という言葉は、「老いた峰」を意味する現地語で、Macchu Picchuとも書くようです。この現地語はケチュア語ですが、ボリビアのケチュア語では、マチュ・ピチュのことを「Pata Pata」と言います。

マチュ・ピチュ位置図 Machu pichu Location Map

 中南米というと、マヤ文明とかインカ文明とか有名ですが、その中でも『マチュピチュ遺跡』は、なかなか行けない場所にあるため、私にとって憧れの場所の一つでした。
 
 マチュ・ピチュ遺跡は標高2,280mの山頂にありますが、クスコの標高は3,360mですので、マチュピチュの麓の村の駅までは、クスコからかなり下って行きます。マチュ・ピチュの標高がすごく高いように書いている記事を見かけますが、実際には、インカの遺跡としては、海抜標高はそんなに高いわけではありません。

 マチュ・ピチュまでは、道路がないため車で行くことができないので、クスコから列車で行きます。この汽車はなかなかしゃれていて、車内で女性の車掌さんが、ファッションショーをやったりして、なかなか楽しめます。車掌さんの着ていたものは、買うことができ、というよりも、即売会です。

 クスコからマチュ・ピチュの麓の村アグアス・カリエンテスまで列車で約3時間半です。そこから山頂近くまでバスで約20分くらいです。

【マチュピチュの発見】

 ケーブルテレビのナショナル・ジオグラフィク・チャンネルで、「あなたは、ご存じでしたか? マチュ・ピチュをナショナル・ジオグラフィク・チャンネルが発見したことを」と自慢していますが、同チャネルが発掘のスポンサーだったようです。発見はイェール大学のハイラム・ビンガムです。

 彼は、1911年7月24日、この遺跡を発見しています。正確には『再発見』でしょう。または、欧米人が初めて知った、というのが正しいかも知れません。地元の人は知っていたのですから。

 などと思っていたら、「マチュ・ピチュ、クスコの農場主が発見」の記事が2001年7月の現地紙に載りました。

 この記事は、日本ペールー協会のホームページで、日本語で読めます。

 このネタを発展させたのが、ワシントン在住のフリーライターDaniel Buck氏。米国の平和部隊(ピースコー)の隊員として1965から67までペルーに滞在していた人です。

 昨年来、Augusto R. Berns がビンガムより30年も前にマチュピチュを発見したとwebサイトで議論を巻き起こしています。マチュピチュはドイツの冒険家が最初に見つけたというもので、ビンガムをさんざんこき下ろしています。NYタイムズで取りあげられたのがきっかけのようです。 英語版wikiにも載っています。

 ビンガムは計3回の発掘を行ない、その研究をまとめた「失われたインカの都市」がベスト・セラーになりました。

 だれが発見したかということを論じるのはあまり意味がないことでしょう。「誰が世界にそれを知らしめたか」の方が重要だと思います。

 仮にその農夫が「発見した」ことを証明できたとして、「じゃあ、それ以前に他の農夫はそこに行ったことがないのか」という話しになるのではないでしょうか。

 ビンガムの発掘のスポンサーだったナショナル・ジオグラフィック誌が紙面全てを使ってマチュ・ピチュの特集を行ったことで一躍有名になりました(1913年4月号)。

 以下の写真は、私が撮影したものです。季節は12月、夏の真っ盛りですが、ちょうど小雨が降ったりやんだりで、最初は、遺跡全体が霧で覆われていて、見ることができるか心配しました。

 クリックすると大きな画像で見れます。

世界遺産マチュピチュ

【都市建設の謎】

 インカの遺跡が人々を魅了するのは、巨石をどうやって運んだのかという「運搬面」の話と、どうやってカミソリの刃も入らないような石組みが可能であったのか、という「加工面」についてではないでしょうか。

 エジプトのピラミッドは、平坦な丘の上に建造されているため、石材を運び上げる傾斜路を建設することは容易です。

(ギザのピラミッドを前にして、私はどうやってキャップストーンを設置したのかと、当時の仮設計画を考えていました)


 でも、マチュ・ピチュの場合、そのスペースはありません。マチュピチュでは、巨石を運び上げたのではなく、運び下ろしたのだと思いました。

 タケシのTVでも遺跡の上部に石切場の跡を発見したと報じています。

Machupuchu02


 個々の石組みはすばらしいのですが、私の関心は水の流れです。雨水の排水を考慮した施設が至る所に完備されています。

Machupichu03

 私は最初、平地に遺跡となる建物群ができた後で、造山運動があり、平地にあった遺跡が隆起したのではないかと疑ったのですが、どうもそれはないようですたらーっ(汗) そもそも、そんな太古の遺跡ではありません。

 やはり、石を上から降ろしたのだと思います。

Machupichu04

クスコの博物館で、発見当時の写真が飾ってありました。この写真は見たことがないので新鮮な感動を受けました。モノクロのところが良いですね猫

Machupichu05

 この山の形がマチュ・ピチュのイメージになっています。何度見てもいいです。
Machupuchu06

 南米の山岳地帯のアイドルはなんといっても『リャマ』ですね。本当にかわいいおとなしい動物です。ただし、臆病なので、知らない人が近づくと鼻水をかけられてしまいます。

 『アルパカ』と『リャマ』はよく似ていて、私は区別が付かないのですが、「毛の多いのがリャマだ」と地元の人が教えてくれました。ホントかなぁ

 アルパカのセーターはあるけど、リャマのセーターって聞いたことがないexclamation×2

クスコのリャマ

 ペルーは観光地化されていて、住民も観光ズレしているので『閉口』します。写真を撮っていると、1ドル要求されることもしばしば。ボリビアとは大きな違いです。

 そういえば、ボリビアの指人形が、スクレの3倍の値段で売っているのでびっくりしました。

スクコのリャマと少女

 マチュ・ピチュ遺跡は、ぜひまた行きたい場所の一つです。
 気に入ったところは何度も行きたいと思いますが、でも、マチュ・ピチュに行くのは、なかなか難しいです。いつになることやら。


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posted by ネコ師 at 20:38 | Comment(0) | 世界遺産 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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